さよなら、僕らのプール。失われるのは「自力で泳ぐ」という、人生の原体験だ。

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最近、胸がざわつくニュースを目にした。「全国で学校のプールが減少している」という話だ。老朽化、維持費の高騰、教師の負担増。理由は合理的で、理解できなくもない。一つの時代が終わるのだな、と感傷的な気分にもなる。
だが、僕の心に引っかかったのは、ノスタルジーだけではなかった。失われつつあるのは、コンクリートでできた水槽だけではない。そこで得られるはずだった、ある「決定的な体験」そのものなのではないか。
その体験とは、「頼るものが何もない場所で、自力でなんとかする」という、原始的で根源的な感覚だ。
僕にとってプールとは、歓声の響く楽しい場所ではなかった。むしろ、恐怖の対象だった。塩素のツンとした匂い、心臓が縮む水の冷たさ、そして何より、足のつかない深い青色。それは、僕がそれまで生きてきた世界とは全く違うルールで動く、異界への入り口のように思えた。
なぜ、僕がそこまで水を恐れたのか。今ならわかる。
僕は、典型的な「共依存」と「環境依存」の中で育った子供だったからだ。
ビート板にしがみついていた子供時代
僕が育ったのは、穏やかな田舎町だった。人間関係は濃密で、誰もが顔見知り。親は常に僕の先回りをして危険を取り除き、歩くべき道を示してくれた。学校も、地域社会も、僕を「守られた子供」として扱った。僕の世界は、常に足がつく浅いプールのようなものだった。周りにはいつも、掴まっていられる誰かや、安心できる「環境」という名のビート板があったのだ。
そんな僕が、小学校の水泳の授業で突き落とされた、足のつかない25メートルプール。それは、人生で初めて味わう「完全なる孤独」だった。
スタート台に立ち、水面を見下ろす。助けてくれる親はいない。いつも隣にいた友人の声も、水に潜れば聞こえなくなる。先生の号令は、まるで遠い世界の響きだ。頼れるのは、このか細い自分の手足だけ。息継ぎに失敗すれば、待っているのは苦しい水の塊。
あの恐怖は、「死」の恐怖というより、「依存していた世界から切り離される」恐怖だったのだ。ビート板を無理やり剥がされ、大海原に放り出されたような絶望感。僕は、自分の力だけで浮き、進まなければならないという現実を、水の底で突きつけられた。
この「泳ぐ」という行為は、精神的な依存を断ち切る、強烈な儀式だったのだ。
【みんなの声】
「めっちゃわかる…。私もカナヅチで、水が怖くて仕方なかった。今思えば、親にべったりで、一人で何も決められない子供だったなあって。」(30代・女性・会社員)
「水泳って、究極の個人競技だよね。水の中に入ったら、チームメイトもコーチも関係ない。自分との戦い。あれでメンタル鍛えられたな。」(40代・男性・元水泳部)
「私は逆に、泳げるようになって世界が変わった。自分の力で25m泳ぎ切ったときの達成感は、テストで100点取るのとは全然違う種類の自信になった。あの感覚は今でも覚えてる。」(20代・女性・学生)
東京という名の巨大なプール
この「泳ぐ恐怖」とそっくりな感覚を、僕は十年後、再び味わうことになる。大学進学を機に、生まれ育った田舎を離れ、東京へ向かったときだ。
新宿駅の改札を出た瞬間、僕を飲み込んだ人の波。無数のビルが見下ろすコンクリートの谷。誰一人として僕のことなど知らない、気にも留めない、巨大な匿名性の海。
それはまさに、足のつかない巨大なプールだった。
これまで僕を守ってくれていた「田舎」という環境、「地元の友人」という浮き輪、「親の庇護」というビート板は、もうどこにもない。電車の乗り方も、家賃の払い方も、人間関係の作り方も、すべてが手探り。息継ぎのタイミングがわからず、何度も都会の水を飲んで溺れかけた。孤独と不安で、故郷に逃げ帰りたいと本気で思った夜は一度や二度ではない。
だが、僕はなんとか、もがき続けた。めちゃくちゃなフォームで水をかき、時々沈みながらも、必死で息継ぎを繰り返した。アルバイトで自分の生活費を稼ぐこと。新しい友人と腹を割って話すこと。時には傷つき、失敗しながらも、自分の足で立ち、自分の頭で考え、行動すること。
それは、子供の頃に恐怖した「自力で泳ぐ」という行為そのものだった。そして、気づけば僕は、東京というプールを、自分なりのやり方で「泳ぎこなせる」ようになっていた。息継ぎはまだ少し下手くそかもしれないが、もう溺れることはない、という確信があった。
この経験を通じて、僕は確信した。
人生における「自立」とは、足のつかないプールに飛び込み、自分だけの泳ぎ方を身につけるプロセスなのだ、と。
【みんなの声】
「上京したときの不安、まさにこれ!誰も知らない場所で息継ぎする感じ。溺れないように必死だったな…。」(30代・男性・デザイナー)
「地元から出たことない私には、この記事ちょっと耳が痛いかも。ずっと足がつく場所で生きてる自覚はある。でも、それが心地いいんだよね。」(40代・女性・主婦)
「『環境に依存』って言葉が刺さった。会社や肩書っていうビート板がないと、自分は何者でもないんじゃないかって怖くなるときがある。」(50代・男性・管理職)
なぜ今、私たちは「泳ぐ」ことを恐れるのか
プールが減っているという物理的な話に戻ろう。だが、これは単なる施設の問題だろうか。
僕は、もっと大きな、時代の流れを映しているように思えてならない。
現代は、かつてないほど「依存しやすい」社会だ。
手元のスマートフォンは、僕らを常に誰かと繋いでくれる。SNSを開けば、共感や承認が手軽に手に入る。わからないことがあれば、検索すればすぐに答えが見つかる。私たちは、常に「精神的なビート板」を手の届くところに置いている。
それは便利で、安心できる世界だ。しかし、その代償として、私たちは**「頼るものがない状態」への耐性**を失いつつあるのではないか。
足のつかないプールに飛び込むような、不確かで、孤独で、自力でなんとかするしかない状況。そんな状況を、社会全体が避けようとしているように見える。失敗を過度に恐れ、子供たちを無菌室で育てようとする風潮。効率とタイパ(タイムパフォーマンス)が重視され、回り道や無駄なもがきが切り捨てられる時代。
しかし、本当にそれでいいのだろうか。
水泳を思い出してほしい。最初から美しいフォームで泳げる人間などいない。水を飲み、鼻に水が入り、手足がもつれ、パニックになる。その無様で非効率なもがきの果てに、初めて「浮く」という感覚を体得する。自分の身体と水との対話の中で、自分だけのバランスを見つけ出す。
このプロセスこそが、「自己効力感」――つまり、「自分ならできる」という感覚――を育むのではないか。誰かに与えられた正解ではなく、自らの身体で掴み取った感覚だからこそ、それは揺るぎない自信になる。
プールが減るということは、こうした身体的な成功体験を通じて、精神的な自立の礎を築く機会が一つ、また一つと失われていくことを意味しているのかもしれない。
失われゆくプールに、僕らができること
では、どうすればいいのか。全国の学校にプールを再建しろと叫ぶのは、現実的ではないだろう。
大切なのは、物理的なプールの有無ではない。私たちの心の中に、「自ら飛び込むべきプール」を意識的に作り出すことだ。
それは、ほんの些細なことでいい。
行ったことのない場所に、一人で旅をしてみる。
ずっと気になっていたけれど、怖くて手を出せなかった趣味を始めてみる。
仕事で、誰もやりたがらない新しいプロジェクトに手を挙げてみる。
これらはすべて、あなたにとっての「足のつかないプール」だ。最初は不安で、孤独で、何度も引き返したくなるだろう。だが、そこで必死にもがき、自分なりの息継ぎの方法を見つけたとき、あなたは以前よりも少しだけ強く、自由になっているはずだ。
そして、もしあなたが親であるならば。あるいは、未来の世代を育てる立場にあるならば。
子供からビート板を完全に奪う必要はない。でも、時にはそっと手を離し、自分の力でもがく時間を与えてあげてほしい。「大丈夫、パパやママはここで見ているから。一度、自分の力でやってごらん」と。失敗してもいい、無様でもいい。その経験こそが、彼らが人生という広大な海を泳ぎ抜くための、何よりの力になるのだから。
冒頭のニュースを、もう一度読み返す。
「プールが減っている」。
それは、僕たちの社会が「自力で泳ぐ力」を少しずつ手放し、常に足がつく安全な場所ばかりを求めていることの、静かな警告なのかもしれない。
この記事を読んだあなたが、明日、ほんの少しだけ勇気を出して、自分の「足のつかないプール」に小さな一歩を踏み出してみようと思ってくれたなら。
失われゆくコンクリートのプールの代わりに、私たちの心の中に、新しい希望の波が生まれると信じている。