「昔は良かった」と言う人は、現代社会の「異邦人」?──懐古主義と社会否定のメカニズム

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「昔は良かった」「今の若者はダメだ」──こうした言葉を耳にする機会は少なくありません。

だが、この言葉を繰り返す人々の姿は、まるで異国に来て「日本は良かった」と言う日本人旅行者のようにも見えます。
つまり、「過去」という国から離れられない「異邦人」になってしまっているのです。

■「昔は良かった」は“郷愁”ではなく“防衛反応”

心理学的に見ると、「昔は良かった」という言葉は単なる懐かしさではありません。
多くの場合、それは現在への不安や疎外感に対する「心の防衛反応」です。

現代社会は変化が激しく、特にデジタル化・グローバル化の波は高齢者にとって理解しづらいもの。かつての価値観や努力の基準が通用しなくなった時、人は「自分の時代こそ正しかった」と思いたくなるのです。

しかし、それは同時に「現在を否定する」ことでもあります。
「昔の方が良かった」と言うたびに、今を生きる人々の価値や努力が見えなくなってしまう。結果として、自分自身も“今の社会”の一員として生きにくくなってしまうのです。

■「異邦人」としての高齢者

社会学者ジグムント・バウマンは、現代を「流動する社会(リキッド・モダニティ)」と呼びました。
すなわち、あらゆる価値や制度が常に変化し続ける社会。
その中で、「変化に適応できない人」は、まるで「外国人」のような感覚に陥ります。

昔の価値観を手放せない高齢者は、今の日本社会という“異国”に住む「異邦人」なのかもしれません。
「日本はこうあるべきだ」「あの頃はみんな優しかった」と言っても、今の文化や若者の価値観は別の言語で動いている。
まさに、文化的な言葉が通じない異国にいる状態です。

■「外国で日本を懐かしむ日本人」と同じ構造

外国に移住した人が「日本は良かった」と言うとき、それは母国への愛着と同時に、新しい社会への違和感の表れでもあります。
同様に、「昔は良かった」と言う高齢者も、実は「今の社会の変化が理解しづらい」「自分の居場所がない」という感覚を抱えているのです。

つまり、両者に共通するのは「同化できない苦しさ」。
人は環境が変わると、どうしても「過去の安定した場所」に心を戻そうとする傾向があります。
その“心の帰省”が、懐古主義の正体です。

■「昔も良かった、今も面白い」と言える人が強い

とはいえ、過去を懐かしむ気持ちそのものは悪いことではありません。
問題なのは「昔だけが良かった」と思い込み、現在を否定してしまうこと。

本当に豊かな老年期を送る人は、
「昔も良かった。けれど今も面白い」
と、両方を肯定できる人です。

時代が変わっても、根底にある“人間らしさ”は変わりません。
人とのつながり、好奇心、学ぶ意欲──これらはいつの時代も人を生かします。
たとえば、スマホやSNSも、昔の「井戸端会議」や「茶飲み話」の現代版。
ツールは違っても、人がつながる本質は同じです。

■みんなの声

「父がよく“昔は良かった”と言ってましたが、今の便利さを少しずつ覚えたら、最近は“今も悪くない”と言うようになりました。」(60代女性)

「職場の年配の方が“昔はこうだった”と言うけど、若い人のやり方を理解しようとする姿を見ると尊敬します。」(30代男性)

「海外生活をしているけど、“日本は良かった”とだけ言ってた頃は苦しかった。現地を受け入れたら、やっと自由になれた気がした。」(40代女性)

これらの声に共通するのは、「過去を否定しないけれど、現在にも価値を見出す」という姿勢。
人は「今」に参加するとき、初めて生きている実感を得られるのです。

■懐古主義を乗り越えるために

もしあなたの身近に「昔は良かった」と繰り返す人がいたら、次のように声をかけてみましょう。

  • 「あの頃も素敵でしたね。今のこの時代なら、どんなふうに生かせそうですか?」
  • 「昔の良さを、今の若い人に伝えるとしたらどうしますか?」

過去を現在につなげる問いかけが、その人を「異邦人」から「現代の住人」に戻すきっかけになります。

■まとめ

「昔は良かった」と言うことは、今を否定すること。
そしてそれは、文化的な“外国”で自国を懐かしむ人と同じ構造を持っています。

しかし、人は変化の中にこそ成長があります。
「昔を愛しながら、今を楽しむ」。
この姿勢を持つことで、誰もが「時代の旅人」ではなく、“今の世界の住人”として生きることができるのです。