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過疎地をプラス環境にする原理とは
日本全国で色々と問題になっている過疎地。
この問題とは、一体、何でしょうか?
それは、「地域エネルギー」の減少です。
エネルギーの減少がさらに過疎を進め、その地域で住みにくしています。
逆に、人が集まって来る状態とは何でしょうか?
それは、新しい産業・プラスエネルギーがある地域です。
地域エネルギー減少を構成している要素
自治会の時代による変化
毎年、続けられてきた自治会主催の行事。
昭和時代は、自治会という認識はそれほどなく、全員が参加する社会行事として位置づけられていたと思います。
戦後から、高度成長期にその形は整えられました。
昔は子供の数は多く、人口は増え続けたので、地域行事の機能は増加していき、賑わっていきました。
助け合うことで互いの人柄を理解し、行事を行う意義を皆が感じていたのです。
それぞれの助け合いで、ポジティブな感情を共有でき、自治会を動かす力になってきました。
お寺の供養
子供の頃、お寺の花祭りなどに子供会で参加しました。
学年の違う子どもたちが集うのも、友好関係をつくる好機と感じていました。
行事では地域の人たちが多数集まり、子供もとして、大人の役に立てたことが何となく嬉しかったのです。
しかし、近年では檀家の人数は激減し、寺の仕事を手伝うことも時間と労力を取られ、とても生活にマイナスになっています。
それに追い打ちをかけているのが「供養」です。
檀家の減少とともに供養も減っているでしょう。お寺の立場では、亡くなっていく人が増えていき、墓を管理する人は少なくなってきているので仕事が増え続け、経営が成り立たなくなってきている。
そのために考えていることは「人を集めること」。
檀家からもらった供養が、新しい石像を作るのにつかわれたりする。
作業効率化に使用されれば良いのですが、供養で石像や建物を作っても、それらは仕事をしてくれません。
供養したお金は、一般的には何の利益も生み出さないものに使われるのです。
客観的に見て、お寺は地域のエネルギーを吸い取っているだけにしか過ぎない。
若年層の減少と高齢者の増加
過疎地では、働き世代は数えるほどで、家族に高齢者がいる場合、生活支援・介護に当たらなければなりません。
自分の仕事を行うことも、ままならなくなります。
生活エネルギーを取られる一番の要因になっています。
地域エネルギー減少を加速させる働き
善意の人のエネルギーを奪取
人の気づかないところを改善していく陰の人、善意の人があって、集団行事は円滑に進んでいきます。
善意に乏しい人は、人がしてくれたエネルギーを取って、自ら働くことがありません。
善意の人のエネルギーを取ってばかりいると、いつか善意の人も失望し、働くことを止めてしまいます。
そして環境を改善するという潤滑油的な作業をする人が無くなり、その環境は「荒廃していく」のです。
全体主義のデメリット
現代の過疎の地域において、昭和時代と同じように自治会やお寺の組織活動をしていこうとすると、人材が無く、その上、高齢者の支援でエネルギーを奪われます。
保守的な考えを持ち続けている人は、全体主義的な組織を第一として人を動かそうとしますが、それぞれの置かれている状態は昭和の時代とは全く異なり、個々の違った生活が存在します。全体主義の考え方は、エネルギーを強制的に奪う手段に使われるのです。
そもそも、マイナスなエネルギー状態では集団で集ることは、エネルギーを奪われるために集るようなものです。
このような状況で、組織活動を行う意味はありません。
マイナス思考の連鎖
地域のエネルギーが減ってくると、取られたのだから取り返せという風潮が広まります。
自分はエネルギーを取られたのだから、後に続く人も同様に全体にエネルギーを捧げるべきだという意識連鎖が広がるのです。
こうなってしまうと、集団で行動する意味は崩壊しています。
マイナスの集団から抜け出して、別にポジティブなプラスのコミュニティーを作り直したほうが良くなります。
コミュニティーを作る目的とは
コミュニティーをつくる目的は、楽しい集まりにすることです。
嫌な思いをするために集る人はいません。
楽しい集まり・楽しい人間関係とは、エネルギーを与え合って喜びを拡大していける状態です。
その喜びをまた別の人に分け与える、シェアしたくなる、そんな心になること、またそういう喜びの人を増やしていく連鎖をつくることが、活動する「もともとの意味」です。
心の状態がエネルギー拡大をする「ポジティブな人」を増やしていくことが、コミュニティー作りには不可欠なのです。