友達関係が存在する理由は、共有する価値・認識があるからだ。

農業が産業の中心であった時代の日本社会は、共同作業により生活を作ってきた。生活で起こった出来事の驚き、喜び、悲しみを、一つ一つ分かち合って全体として前進させてきた。

戦後、専門的な事を学習し、それを職業にして生活を形成する人も増えた。専門知識の分野においても、共同作業と同じように、驚き、喜び、悲しみは、存在する。しかし、机上で起きるこの出来事は、周囲の人に説明をして共有できるというものではない。自分一人で消化していく場合が殆どだ。

現代のスマホの使用も、この専門知識の習得に等しいと思われる。世界から発信されるニュース動画を見て驚いているのは自分一人で、共有する相手は、近くにいる人ではなく、ネットで繋がっている友人になる。

昭和時代のお茶の間のテレビで、家族で楽しみ話し合っている環境は、価値を共有し合っていた。それが、スマートフォンなどのIT機器を一人一人が持つようになったので、価値観は千差万別になる。

唯一、「個人主義でない」という言い方をすれば、それは、その人の持つ人生観・宗教観の価値の共有という根底の部分だ。その部分では個人主義を認めた共和主義的な世界観を創り出すことができると感じる。

現代、低く評価され勝ちの個人主義に対して、人間共和の個人主義、独立尊重の個人主義、多様性社会を広めていきたい。